私の石仏探訪はいい加減です。直ぐに集中力をなくし,諦めが先立ちます。助手から見れば
「せっかく来たのに諦めが早いなあ」と厳しい言葉を浴びせられます。その度に頭が下がる
私です。この双体道祖神も道が狭く急な坂を登っていかなければなりません。車を適当な場
所に置いて歩いて探せば済むことなのに…。

前回,近くの部落まで行っていましたが,あの通ずる道を見た途端に…。今回は楽に入って
いくことができます。光は当たっていないものの見付ける事ができました(昼過ぎならば光
が当たっていると)。石仏の横には立派な看板があり,そこには1793年(227年前)に作ら
れたことを知りました。これだけ長い時間が経っているだけに,何代もの世代交代があった
と思います。それでも先祖代々の立派な遺物を大切に守ってきた部落の人達,立派なもので
す。綺麗に除草もされていました。

両神の間に立派な幣が立っています。これも諏訪信仰の影響なんでしょうか。それに繭玉が
刻まれています。普通は繭玉は女神だけが持っており,男神は持っていません。ところがこ
の石仏は,どちらも持っています。これは(恐らく)初めて見ました。摩耗が激しいもので
すが,じっくりと観察していると元々の彫りは素晴らしかったことが分かります。堅い石と
は言え,200年以上も経つと摩耗していくんですねえ。

<松本市南洞:https://www.mapion.co.jp/m2/36.27797739740723,137.98954723344673,16>

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